恋愛セミナー48【雲隠】源氏物語~ひかる海老蔵の歌舞伎9月9日、重陽の節句、御園座にて市川海老蔵・襲名公演「新作・源氏物語」を観劇した。 寂聴氏の源氏物語の解釈は「男はダメよ」。 その解釈のもと脚本を書いているためか、コロコロと相手を変える源氏に、 最初はあちこちから「ほんとにやな男ね。」「どうしようもないわ。」の声がもれていた。 ところが、舞台がすすむにつれ、海老蔵の美しさと役者魂が炸裂しはじめ、 ラストは「もう、なにをしてもいい。そこに立っているだけでいい。」という 光る源氏そのままの説得力をもった存在になっていた。 また、源氏と朧月夜が二人で舞うシーンは平安時代ならありえない 深窓の令嬢と若き公達が共に衆目にさらされる場面だったが、 これも当代一の美しい役者二人を並べて見られる幸福に酔うため。 錯誤は無視しておこう。 松緑演じる頭の中将は、なかなかにいい男だった。 原作よりも情と理解ある男に描かれていてラストシーンで朧月夜を諭すセリフなど、胸にせまるものがあった。 さて、桐壺院は、果たして藤壺と源氏の事を知っていたのか? 寂聴氏によると演じる役者一同「知らないはずがないよ。」ということで意見が一致したらしい。 脚本も、役者さん達の意見や演出の途中でどんどんと書き換えられたそうだから桐壺院は 「単なるコキュではない。全てを知って、許し、源氏に託した。」という大いなる存在として浮かびあがることになった。 葵上との関係も、かなり丁寧に描かれていたように思う。 夕霧という子どもを生んで、すぐに六条御息所の生霊にとり殺されてしまうのだが、 その直前、葵上と源氏が和解するシーンを丁寧に描くことで なぜ源氏が次から次へと女性遍歴を繰り返すのか、その原因の一端がわかりやすくなった。 もちろん、遍歴の最大の原因は藤壺への思いが成就しないことなのだが、 葵上が源氏を満たすことでその思いが緩和される可能性があったのだ。 六条御息所のサロンを描いたことは、貴族の中の女王を弄んでしまった源氏の失態を浮かびあがらせる効果が大きい。 太政大臣の娘として宮廷にあがり、東宮の子どもをもうけていまも尚、裕福で趣味の高い御息所が 源氏の裏切りに惑えば、葵上をとり殺すほどに思い詰めることありうるだろう。 そして、王命婦が源氏を藤壺に取り持つ最初のシーン。 ここで三人が三人とも、皇族ゆかりの出であることに気付くとまた違った見方ができる。 当時、実際の宮廷は藤原氏に牛耳られており、皇族出身の女性が子どもを生み、帝位にのぼることは絶えてなかった。 源氏物語が生まれた時代には、源高明という皇族出身者が帝の外祖父になりかけたとき、 謀反の罪をきせられて大宰府に左遷されている。 井沢元彦氏が「逆転の日本史」で書いたように源氏物語がこの事件の鎮魂の書であるとすると、 この三人の描き方にも説得力が出てくる。 藤壺の生んだ冷泉が帝になるということは皇族の純血種が皇位につくということ。 おそらく桐壺院では子どもができなかった藤壺に、若い皇族出身の源氏を引き合わせたのも、 王命婦の中に流れる皇族の血がさせた藤原氏への復讐だったのかもしれない。 だから、取り持ったのは藤中納言でも清少将でもなく「王(おうの・皇族にゆかりの)」命婦であり、源氏の物語なのだ。 ラストシーンは特にファンにはたまらないものだった。 海老蔵・松緑・菊之助の揃い踏み。 役柄が源氏・頭の中将・朧月夜ときては、まさに源氏ファン冥利につきる。 原作で、この三人が同時にあいまみえることはないのだが、 三之助時代を彷彿とさせ、さらに演技に奥行きが増した三人が舞台にいる豪華さを前にしては、何もいうことはないのだった。 美しき夢は、日を重ねるごとにさらに輝きを増すだろう。 ***日記に同じ内容が掲載されています。必ずお返事いたしますので、 よろしかったら日記にコメントいただけるとうれしゅうございます。 よろしくお願いいたします。*** ジャンル別一覧
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